核の冬一核戦争と気象異変

はしがき

 ことし1985年は、私たち日本人にとっては忘れることのできない被爆四〇周年の年です。ヒロシマ・ナガサキそしてビキニと、三度原水爆の被害を受けた日本人にとって、核戦争阻止、核兵器全面禁止の願いは国民的な願いだと思います。しかし、このような願いをよそに、「抑止」と「均衡」の名のもとに核軍拡競走はとどまるところを知らず、現在、地球上の核兵器の総数は約5万発にも達し、その爆発力は広島型原爆の約100万倍の1万5000 メガトン、計算上では全人類を数十回も殺すことのできる破壊力をもつまでになったといわれています。
  しかも、このような核兵器開発を背景に、1983年秋のアメリカによるパーシングⅡ核ミサイルのヨーロッパ配備と、それに間髪をいれずおこなわれたソ連の SS20 の配備、さらに、84年6月からの米太平洋艦隊への核巡航ミサイル・トマホークの配備と、それに対抗するソ連の核ミサイルの極東への配備、という新しい状況が生れ、核戦争の危機がかつてなく高まっています。
 昨年8月、東京で開かれた原水爆禁止1984年世界大会は、このような状況のもとで、「核戦争阻止と核兵器全面禁止は、いまや、全人類の死活にかかわる最も重要かつ緊急の課題となっている」と、「核兵器全面禁止」を中心課題とした画期的な「東京宣言」を満場一致で採択しました。さらに昨年12月17日、核超大国の一つであるソ連の共産党と日本共産党の首脳の間で、この東京宣言をより具体化したと考えられる共同声明が発表され、被爆四〇周年にふさわしく、核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶の運動に新しい展望が開かれそうななかで1985年が明けました。
 そして、新年早々、この日ソ両共産党の共同声明の「核兵器の禁止・廃絶の課題を、国際政治の場でも、国際連合でも、二国間交渉やその他の国際的会議でも、また、反核・平和運動でも、第一義的に提起」するとの合意の最初の具体的な成果があらわれました。すなわち、1月7、8の両日、ジュネーブで開かれた米ソ外相会談が、①宇宙での軍拡競走阻止、②戦略核兵器、③中距離核兵器、にかんする「効果的な協定の作成」を交渉の目的とするとともに、「双方は、最終的にきたるべき交渉が、兵器の制限と削減のための努力全般と同様、あらゆる領域での核兵器の完全廃絶をもたらすべきである」ことを明記した共同声明を発表したのです。これはグロムイコ・ソ連外相が、1月13日のテレビ放送で「これは従来の共同声明では何もいわれていなかったこと」と述べているように、まさに画期的な合意であり、世界諸国民が、この合意を”希望の星”として歓迎したのは当然です。
 しかし、このような核廃絶への流れにさからう動きも出てきました。特に米ソ外相会談直後から、アメリカのレーガン大統領は、いわゆる戦略防衛構想(SDI=スターウォーズ計画)の研究開発を続けると言明しただけでなく、ジュネーブでの米ソ交渉開始の前日の3月11日には、この交渉に、攻撃用核戦力の削減など「短期」、「中期」の目標を優先させ、核兵器廃絶の課題を長期的目標として先送りする旨を言明しました。これはシュルツ国務長官やニッツェ米ソ交渉特別顧問などアメリカ政府関係者の、核兵器廃絶を「数十年」あるいは「来世紀」に先送りするという1月以来の発言を追認したもので、レーガン大統領自身がこれまで、世界諸国民に対し、繰り返し言明してきた核兵器廃絶についての公約を裏切るものといわねばなりません。特に許すことのできないのは、「核兵器を廃絶するためにSDIを」などと述べ、あたかも世界諸国民の切実な要求である核兵器廃絶を逆手にとって、新しい核軍拡を進めるという手法をとってきている点です。
 ところが、このようなレーガン大統領の背信行為の糾弾と、新しいゴマカシの徹底的な暴露がさし迫って重要であるにもかかわらず、国際的にはこれに対する批判や反撃が極めて弱いだけでなく、核兵器廃絶の課題をたな上げして、アメリカと同じ土俵の上で、SDI
反対を最優先する傾向も一部にあらわれています。その結果、3月12日から始まった米ソ
交渉も核兵器廃絶の課題に入ることなく中断しています。
 一方、中曽根首相は、1月早々アメリカを訪問し、レーガン大統領のSDI構想に理解を示
しただけでなく、つづいておこなった大洋州四か国訪問では、核兵器積載艦船寄港拒否を貫ぬいているニュージーランドのロンギ首相に、政策変更を迫ったと報じられるなど、レーガン大統領の尖兵的役割を演じています。特に見逃せないのは、核兵器使用問題についての国会の発言で、積極的に核抑止論を展開するだけでなく、「日本列島が侵略されて、ほかに手段がない場合、米軍が核を使うことを排除するものではない」(2月19日、共産党岡崎万寿秀議員への答弁)と言い切ったのです。鈴木前首相でさえ「ひとたび核を使うとなれば人類の破滅、絶対使うことはあってはならない」(82年2月の衆議院予算委員会)と言明していたように、少なくとも今までの歴代首相は「核兵器を使ってよい」とは公言していませんでしたが、中曽根首相は公然とそれを破ったのです。「それでも被爆国の首相か」
(岡崎議員)といいたくなるのは当然だと思います。
 しかも、このような中で、1月にはソ連の巡航ミサイル――これは後に旧式のミサイルであったといわれていますが――が誤ってノルウェーの領空を侵犯し、フィンランドに墜落するとか、西ドイツ南西部ハイルブロンに近いパーシングⅡ配備基地で、パーシングⅡが暴発し、米兵3人が死亡するという事故が相次いで発生しました。ソ連ミサイルの誤射の場合は、幸いソ連政府が直ちに謝罪したため事なきをえました。
 パーシングⅡの暴発の場合も、幸いそれが通常弾頭を装備しているものであったからよかったものの、もし核弾頭装備のものであったらどうなっていたでしょう。そのミサイルから 150 メートル離れたところには核装備のパーシングⅡが配備されていたといわれ、もしこれに誘爆するような事態がおこったとすると、考えただけで戦慄を覚えるところです。
 しかも、最近、この事故の原因は移動中に静電気が発生し、パーシングⅡミサイルの固体燃料に引火、炎上させたもので、もし核装備の状態でこれと同じ事故がおこれば、この核ミサイルがソ連領内などに誤発射されるおそれがあったことも確かであると報じられています(『毎日新聞』1985年4月25日付タ刊)。
 最近は核兵器体系そのものがシステム化されており、システムの故障や誤認によって、核戦争が突発する危険も高まってきているのです。
 もし、全面核戦争がおこったらどうなるでしょう。昨年8月5、6の両日、NHKテレビは「核戦争後の地球」を放映しました。これは核戦争の直接の被害だけでなく、全面核戦争に伴って発生する火炎によって、対流圏上部から下部成層圏にまで吹き上げられた煙のために日光がさえぎられ、いわゆる”核の冬”が出現し、核戦争の直接の被害から”生きのびた人びと”まで、絶減するかも知れない、ということをリアルに描き、多くの視聴者に衝撃を与えました。しかし、これを”荒唐無稽”とか、”非科学的”とする意見もないわけではありません。
 ここでは、ヒロシマ・ナガサキの”黒い雨”、そしてビキニの際の異常気象など原爆や水爆の気象への影響を概説した後、全面核戦争と気象との関係、特に”核の冬”について、それがどのようなメカニズムでおこり、どのように世界の気候に影響するかを詳論します。さらに”核の冬”の研究の持つ積極面と消極面を明らかにした上で、”核の冬”と核兵器全面禁止・廃絶の課題との関連について言及し、核兵器廃絶への展望を示したいと思います。
 核戦争阻止、核兵器全面禁止・廃絶はすべての人の願いです。特に、ヒロシマ・ナガサキそしてビキニを体験した日本人でこのことに正面から反対する人はありません。したがって、核兵器廃絶の一点で統一できるし、統一しなければなりません。しかし、憲法を無視し、非核三原則を空洞化させている中曽根首相でさえ、核兵器は「(こう)の兵器」だからいずれは廃絶されるだろうといいながら、F16の三沢配備など、わが国を一層強くアメリカの核の傘に結びつけようとしています。すなわち、核廃絶をとなえながら、それを究極の彼方に先延ばししているのです。したがって、このような動きを封じる最大のキメ手は、核兵器廃絶を「緊急の課題」として認めさせるかどうかです。
 ”核の冬”の実態は、核兵器廃絶が「緊急の課題」となっていることを示しています。
 「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」も「核兵器を廃絶することは、全人類の死活にかかわる最も重要かつ緊急のものとなっています」と述べています。この小論がこのアピールの支持署名推進の理論的支柱となれば幸いです。

目次

はしがき
Ⅰ ヒロシマ・ナガサキ
海陸風の交代時をねらって
放射能に冒されながらの調査
ピカドン
火災旋風と豪雨
長崎では
Ⅱ ビキニ水爆実験
第五福竜丸
先見的な日本気象学会の声明
気圧波
津波
“死の灰”
空気汚染と”放射能雨”
海水の汚染
水爆実験と異常気候
Ⅲ 核戦争の気象への影響
オゾン層の破壊と有害紫外線の増加
恐竜の死滅や火星の砂あらしがヒント
温室効果と反温室効果
核戦争と火災
Ⅳ 全面核戦争と”核の冬”
核戦争のシナリオ
一次元モデル
氷点下23度の”冬”に
顕著な逆転層
三次元モデルによる”核の冬”
2日後に既に氷点下に
海水温の変化を考えると
南半球にまで影響
煙や塵が移動すると
わずか100メガトンでも”核の冬”が
“核の冬”は果して本当か
全米研究会議の報告書
“核の冬”の一層の解明とその研究の危険な側面
Ⅴ ”核の冬”と核兵器廃絶の課題
もし核戦争が起こったら
“核の冬”と東京宣言
ヒロシマ・ナガサキの原点に立って
世論こそ核兵器廃絶の力
〈資料〉水爆実験禁止に関する声明書
核兵器全面禁止・廃絶のためのヒロシマ・ナガサキからのアピール
あとがき
参考文献

奥付

核の冬―核戦争と気象異変
定価1500円
1986年7月25日 新装版第1刷 発行
著 者 増田 善信
発行所 有限会 新草出版