核の夜一科学者は警告する

    ――核戦争が気候と生物に及ぼす影響――

訳者まえがき

 本書は、ソ連科学アカデミー副総裁エフゲー二・べリホフを議長とする「核脅威反対・平和擁護ソ連科学者委員会」の集団労怍”The Night After……,Climatic and Biological Consequences of a Nuclear War―Scientists’Warning―”(Mir Publishers,1985)の主要部分を和訳したものである。
  核戦争による”地球凍結”すなわち”核の冬”は、アメリカの科学者カール・セーガン等によって初めて発見された現象であるかのように一般には信じられている。たしかに”核の冬”という呼び名は彼等によって初めて付けられたものであるが、実はソ連でもまったく別個に核戦争後の気象異変について研究が進められ、セーガン等とほぼ同じ時期に、ほぼ同じ結果、部分的にはより進んだ結果さえ得られており、彼等はそれを”核の夜”と呼んでいたのである。本書はその”核の夜”の実態を科学的かつ総合的に明らかにし、核戦争阻止、核兵器廃絶の重要性を一般大衆に知らせることを目的としたものである。
 1983年5月17―19日、モスクワで「核戦争の脅威から世界を救い、軍縮と平和を確保するための全国科学者会議」が開かれた。この会議にはソ連はもちろん、米国をはじめ多くの外国の科学者も招かれ、平和を擁護する道とその中での科学者の役割について論議し、「科学者は、……その知識、経験および権威によって、核による破滅から世界を救うための人々の闘いを積極的に助成しなければならない」との主旨の全世界の科学者にあてたアピールを採択した。そして、この目的を達成するための活動組織として、前記のソ連科学者委員会すなわち Soviet Scientists’Committee for the Defence of Peace against Nuclear Threat――略称SSC――を設立した。この委員会は、大気物理学、環境科学、生物学、医学、物理学、社会科学など多彩な分野からの科学アカデミー会員、準会員など著名な科学者25名で構成されているが、特定の問題については必要に応じて会員以外の専門家の援助も受けるようになっており、ソ連では珍しい純然たる民間の科学者組織である。また活動面では、外国特に米国の科学者グループとの交流と協力を積極的に進めている点でも特徴的である。
 本書は、核戦争がもたらす地球規模の破局的な長期的影響について、これまでの研究結果を包括的にとりまとめ、一般大衆向けに編纂したもので、序文、第1部、第2部および付録から構成されている。序文は本書の編者エフゲー二・ベリホフの筆になる大部なもので、SSC発足の由来やソ連科学者の核戦争阻止、平和擁護の闘いの経緯から説き起こし、本書の内容をかなり詳しく説明したうえで、レーガン米大統領のいわゆるスターウォーズ計画の非科学性、非現実性とその危険性に多くのページをさいている。
 第1部は本書の中心課題であり、核爆発に伴う大火災、大気汚染、オゾン層の破壊、”核の夜”の到来(第1章)、数値シミュレーションを駆使した”核の夜”の研究結果(第2章)、火山の大爆発、火星の砂あらし、恐竜の死滅など核破局に類似した自然現象(第3章)、核戦争がもたらす医学的・遺伝学的影響(第4章)、第三世界への影響(第5章)など、全面核戦争がもたらす長期的な地球規模の影響が包括的かつ全面的に論じられている。たとえば、現在の世界の核保有量のわずか0.8%にすぎない100メガトンの核弾頭でも”核の夜”をもたらし得ることを、さまざまな条件によるシミュレーションで示している部分など、核戦争を防止する必要性を一般大衆に訴えるのは科学者の責任であるという熱意がいたるところで感じられる内容になっている。
 第2部には前記「核戦争の脅威から世界を救い、軍縮と平和を確保するための全国科学者会議」での5人の科学者の報告要旨が、また付録には「パグウォッシュ会議25周年記念集会宣言」など核戦争防止に関する科学者のアピールおよび関連文書10編が収録されている。ただし、これらの部分の翻訳は割愛し、目次を別掲するにとどめた。
 以上のように、原著は高度な科学的成果をもとにして、核戦争の脅威を明らかにし、もし全面核戦争になれば、人類そのものの滅亡の可能性さえあることを説得力のある記述方法で示している。そして本書の序文でも、「すべての国民と国家は、大量絶滅兵器である核兵器を無条件に、しかも絶対的に放棄するために力を合わせ、共に行動する必要がある」と強調している。しかし同時に、当時ソ連が核軍縮の分野で提起していた「核兵器凍結」など一連の提案を推進する必要性を強調している面もある。
 本年(1986年)1月15日、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長は、今世紀末までに核兵器を完全に廃絶するという提案を行なった。この提案は、核兵器完全廃絶までの期間の長さや具体的過程など種々議論をよぶ点があるにしても、核超大国の一方の最高責任者が、期限を切って核兵器廃絶の課題を世界政治の日程にのせたという点で、まさに画期的な意味をもつものである。
 この背景に1984年12月17日の日本共産党とソ連共産党との共同声明があることも明白であろう。すなわち、日ソ両共産党の共同声明には、「核戦争阻止、核兵器全面禁止・核兵器廃絶」の課題を「人類にとって死活的に重要な緊急の課題、反核・平和運動、世界政治全体における中心課題」とみなし、この課題を「国際政治の場でも、国際連合でも、二国間交渉やその他の国際会議でも、また、反核・平和運動でも、第一義的に提起」することが述べられている。ソ連側によるその具体化の努力の一例が1985年1月の米ソ外相会議の合意であり、今回のゴルバチョフ提案である。
 ところが、本書の準備過程においては、まだ「核戦争阻止・核兵器完全廃絶」を緊急・中心の課題としてとり上げるまでに至っておらず、本書のこの問題に関する部分は、現在のソ連政府の見解とも相違し、ある意味では時勢におくれたものになっている。
 去る4月26日、ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で大事故が発生した。この事故は、原発がまだ技術的に未完成であり、原発は充分に安全であるとする立場での現在の強引な開発政策は根本的に改めるべきであることを示したものであるが、同時に、核戦争の際の放射性降下物の恐ろしさをも示したものである。事故を起こした原発から千キロ以上も離れたスウェーデンでも平常時の100倍もの放射能が観測され、半径30キロ以内は立ち入り禁止になった。
 ところで、もし核戦争が起こったらどうであろう。放射能による被害だけでも、今回の事故の比ではないことは確実である。それに強烈な熱線、爆風が加わり、さらに大火災に伴う大量の煙や塵によって”核の夜”あるいは”核の冬”が地球全域を包み、人類は逃げ場を失うのである。まさに核兵器は通常兵器とは本質的に違う”悪魔の兵器”である。本書はまさにそのことを明らかにしたものである。
 日本共産党は昨年(1985年)11月に開いた第17回大会で、反核国際統一戦線の結集と、非核の政府の樹立を提唱した。これは、被爆国日本の政党ならば、本来すべての政党がかかげるべき目標であるはずであるが、綱領に核兵器完全禁止をかかげ、日ソ両党共同声明を実現させた日本共産党ならではできない画期的な提案であると思う。
 この目標は、原水爆禁止運動の伝統のうえに、核戦争阻止、核兵器廃絶、日本の核基地化反対、被爆者援護をかちとるという、被爆国の国民ならだれでも賛成できる要求である。この目標にもとつく国民的合意が形成され、行動に移されるならば、非核三原則を空洞化させているような好核政府の基盤をゆるがす世論が形成されることは確実であろう。「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動など、核兵器廃絶のための広範な大衆的運動と、この非核の政府を要求する運動とが結合するならば、日本の政治を変えるだけでなく、反核国際統一戦線の結集を大きく促進し、人類を核破局の脅威から完全に解放する課題の実現を早めるであろう。
 本書が、核戦争によってもたらされる悲惨きわまりない実態について、決してセンセーショナルにではなく、科学的で冷徹な理解を深めることに役立ち、この運動の一助となることを強く希望するものである。
 なお、本書の訳出にあたって、序文に小見出しを付け、必要な部分には訳注を入れて読者の便をはかった。ただし、数式を含む部分は編集上の都合もあり原文通りには訳出しなかったので、御了解いただきたい。
 終りに、翻訳にあたって『世界政治――論評と資料』誌編集部および新日本出版社編集部から甚大な御援助をいただいたことを付記し、ここに厚く謝意を表する次第である。
 1986年5月

増田善信
藤森夏樹

目次

 訳者まえがき
序文エフゲー二・ベリホフ
第1部 核戦争がもたらす長期的な地球規模の影響
第1章 核戦争によって大気中に生じる変化ユーリー・イズラエリ
第2章 核戦争が気候に及ぼす影響ゲオルギー・ステンチコフ
     ――ソ連科学アカデミー計算センターの流体力学的気候モデル(CCASモデル)による数値実験――
第3章 核破局に類似した自然現象ゲオルギー・ゴリツィン/アレクサンドル・ギンズブルク
第4章 核戦争がもたらす医学的影響アレクサンドル・バイエフ/ニコライ・ボチコフ
第5章 生態系の惨禍
     ――第三世界に与えるインパクトアナトリー・グロムイコ
原著の第2部および付録の目次(タイトルのみ訳出)
第2部 核戦争の脅威から世界を救い、軍縮と平和確保のための全国科学者会議(1983年5月17―19日モスクワ)提出報告要旨集
1、過去の教訓と現在の主要課題アナトリー・アレクサンドロフ
2、人類の存在に対する真の脅威ニコライ・ブロヒン
3、地球の大気――核攻撃後の破局アレクサンドル・オブホフ
4、核兵器――超危険要因レフ・フェオクチストフ
5、我々の惑星は放射能で汚染された砂漠と化すかアガジァン・ババエフ
付録――核戦争防止に関する科学者のアピール及び関連文書
1、第2回国連軍縮特別総会に対するアピール
      ソ連科学アカデミー幹部会(モスクワ、1982年5月13日)
2、パグウオッシュ宣言第25回記念集会(ワルシャワ、1982年8月26―31日)
3、核戦争防止についての宣言
      教皇科学アカデミーによって召集された世界の科学アカデミー総裁と科学者の集会(バチカン、1982年9月23―24日)
4、世界の科学者に対するアピール
      ソ連科学者(モスクワ、1983年4月10日)
5、アピール――核戦争の脅威から世界を救い軍縮と平和確保のためのソ連科学者会議(モスクワ、1983年5月17―19日)
6、ソ連最高会議幹部会議長ユーリ・アンドロポフ及び米国大統領ロナルド・レーガンに対する訴え
      核戦争防止国際医師会議第3回会議(ハーグ、1983年6月17―21日)
7、国際医師会議の核軍備競争終結呼びかけ
      核戦争防止国際医師会議第3回会議(ハーグ、1983年6月17―21日)
8、医師の誓いと医の倫理についての声明――核時代への対応についての提案
      核戦争防止国際医師会議第3回会議(ハーグ、1983年6月17―21日)
9、核の冬――その警告
      教皇科学アカデミーによって召集された世界の科学アカデミー総裁と科学者の集会の報告(バチカン、1984年1月23一25日)
10、核の冬――その影響と防止
      科学者と宗教指導者の会議の声明(イタリア、ベラジオ、1984年11月23日)

奥付

核の夜――科学者は警告する
定価1700円
1986年8月10日 初版
原編著者 エフゲーニ・ベリホフ
訳  者 増田 善信
     藤森 夏樹
発行所  株式会社 新日本出版社
ISBN4-406-01441-1 C0036