地球環境が危ない

はじめに

 ”鳥が鳴かない日があっても、環境問題が話題にならない日はない”ほど環境問題、とくに地球規模の環境問題が喧伝され、書店でも特別のコーナーが作られるほど、多くの環境関係の書籍が出版されるようになってきた。国際会議も相次いで開かれ、国内でも、各種のシンポジウムや、省庁ごとの、あるいは省庁にまたがった検討委員会が開かれ、国会でもとり上げられるほどである。
 では、なぜ環境問題がこれほど問題にされるようになってきたのであろう。それは化石燃料の消費の増加にともなう二酸化炭素など、いわゆる温室効果気体とよばれる気体の増加による地球温暖化をはじめ、フロンガスによるオゾン層の破壊、酸性雨、砂漠化、原発事故による放射能汚染などの大気汚染や環境破壊が、従来の一地方、一国の範囲をこえて、世界的規模になってきただけでなく、その環境破壊がきわめて深刻になってきたからである。このなかでとくに、「核の冬」に代表される核戦争後の気象異変と生態破壊は、地球規模の環境破壊の最大のものと言わなければならないであろう。
 地球規模の環境汚染はきわめて深刻で、資本主義社会、社会主義社会の別なく、人類と地球全体に大きな影響を与える恐れがあり、とくに、核戦争後の環境破壊は、人類の滅亡さえももたらしかねないものである。その意味では地球全体がまさに「運命共同体」になってきており、”宇宙船地球号”と言ってもいいであろう。したがって、全人類的課題として、その解決法が論議されるのも当然で、相次いで国際会議が開かれ、優れた報告書も出されている。そのなかでもっとも代表的なものが、ブルントラント報告(邦訳『地球の未来を守るために』福武書店、1987年)である。
 これは国連の「環境と開発に関する世界委員会」(WCDE)が、3年間にわたる討議をもとにまとめたもので、人口の増加、経済の成長、自然への圧迫がこのまま進めば、21世紀の人類は極めて困難な事態に直面するであろうとして、今後の課題として「持続可能な開発」が重要であることを指摘している。また、ワールドウォッチ研究所のレスター・R・ブラウンは、毎年『地球環境白書』を発行して、地球規模の環境問題を警告している。
 爆発的な人口増加や、急速な経済成長が環境を破壊していることは事実で、今こそ人類が共同してこの危機に対処することが急がれている。しかし、これらの報告書は、いずれもこのような環境破壊の深刻さを詳細に告発してはいるが、その根源的な原因が何であるかを明確にしていないうらみがある。また数多くの国際会議がもたれているにもかかわらず、フロンガスの規制を除いて、「議論をすれど結論なし」という状況である。それはなぜであろうか。それは環境問題をとり上げる基本的な視点が欠けているからではないかと思う。
 そもそもなぜこのような環境破壊が生まれるのであろう。人間は自然を利用し、そこからいろいろのものをとり出して生産し、生活を維持しているが、その過程で生じた各種の廃棄物を自然に戻している。人間と自然のこの不断の相互作用、物質代謝のなかで、人間と自然の間の正常な循環関係がつづくときは、良好な自然環境が保たれるのであるが、それに反して、人間の生み出す廃棄物が、自然の営み、自然の自浄作用を破壊し、この循環関係を壊すと、環境破壊が生まれるのである。すなわち、環境破壊は自然現象のように見えるが、たんなる自然現象ではなく、人間の行為によって作られたものに、自然的要因が関与して激化したものである。
 したがって、「核の冬」をはじめ、どの地球規模の環境汚染も、自然現象ではなく、人為的に作り出されたものであるから、かならず原因がある。その原因を抑える、すなわち、発生源で止めること、このことこそ、世界的規模の環境汚染を解決する道である。ところが、資本主義国では、公害防止や環境破壊を防ぐための投資をすれば利潤が減るとか、直接生産に役だたないなどという資本の論理が優先されるので、極力環境保全のための投資を抑えようとする。すなわち、地球規模の環境破壊の最大の原因は、利潤追求を唯一の目的とする資本主義的生産様式であり、多国籍企業、新植民地主義である。
 一方、たいへん残念なことであるが、本来はこのような資本の論理のはたらかない社会主義国で、部分的には資本主義国よりも深刻な公害や環境破壊がおこっていることも事実である。これは社会主義から逸脱した前近代的、非民主的・官僚的な運営や、「黒い猫も白い猫も鼠を取るのは変わらない」などと称する実利主義がはびこっているためであると思う。最近喧伝されている「新しい思考」は、当初はこれら前近代的、非民主的運営から脱皮し、科学的社会主義の精神での自己点検と、建て直しをめざすという積極面が見られたので、正しい前進と成功を期待して見守っていた。しかし、「全人類的価値を優先させるためには階級闘争の自粛が必要」などと称して、たたかう相手を免罪する新しい協調主義に堕してしまった。
 そもそも環境破壊を防ぐ道は、前述のように「発生源で止める」ことを基本に、労働者階級を中心とした勤労人民の階級闘争によって民主的に規制する以外にはありえない。したがって、階級闘争の抑制を説く「新しい思考」は環境問題を解決するうえでも有害なものであるが、とくに問題なのは「新しい思考」論者が、核戦争阻止、核兵器廃絶の課題を、地球環境破壊や飢餓、貧困などと一緒にして「グローバルな諸問題」として一般的にとり上げ、もっとも緊急を要する核戦争阻止、核兵器廃絶の課題を曖昧にしている点である。
 事実、それに呼応するかのように、政府主催の「地球環境保全に関する東京会議」の議長をつとめた大来佐武郎氏は「米ソ間の緊張がゆるみ、核戦争という人類の頭上からぶらさがっていた”ダモクレスの剣”の脅威がひとまず遠のいた感じです。では、次に人類の将来を脅かす危険は、地球規模の環境破壊、人ロの爆発です」(「毎日新聞」1989年7月30日付朝刊)と発言している。「環境問題重視」が、最大の環境破壊である核戦争から目をそらす役割をはたす恐れのある面ももっていることにも注意を向ける必要があると思う。
 またこのような動きとは別に、この深刻な地球規模の環境破壊が科学の進歩によってもたらされたものと短絡的に考え、「文明は”ガン”だ」と科学の進歩そのものを否定、ないしは敵視し、人間そのものにたいする不信を表明する動きも出ている。
 ここでは、地球大気の形成と温室効果、地球の温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、熱帯雨林の破壊と砂漠化、放射能汚染から、核戦争による「核の冬」にいたる地球規模の環境破壊を詳述したうえで、環境問題をとり上げる基本的視点を述べ、さらに社会主義国の深刻な環境問題を「新しい思考」との関連で論じようと思う。そして最後に、環境破壊を防ぐ具体的な方策についてふれ、人類の英知を結集すればかならず解決できる展望があることを示そうと思う。

目次

はじめに
Ⅰ 地球の大気と温室効果
1 もし地球に大気がなかったら
2 地球大気の誕生
3 生物が酸素を生みオゾンを作った
4 温室効果とは
5 温度の鉛直分布とオゾン層
Ⅱ 進行しつつある地球の温暖化
1 増えつづける二酸化炭素
2 他の温室効果気体も増加
3 温暖化はすでに始まっている
4 海水面や成層圏にも温室効果の兆候
5 二酸化炭素はどこまで増えるか
6 二酸化炭素倍増時の数値シミュレーション
7 地球の温暖化は何をもたらすか
8 二酸化炭素の規制と「ノートバイク宣言」
Ⅲ 生命を脅かすオゾン層の破壊
1 観測の機器がおかしいのでは?
2 オゾンの減少とフロンガス
3 南極にオゾンの穴が
4 オゾン層とは
5 オゾンホール形成のメカニズム
6 極成層圏雲とオゾンホール
7 突然昇温とオゾンホール
8 北極を含め地球全体でオゾンが減少
9 フロンガス汚染の実態
10 もしオゾン層が破壊されたら
Ⅳ 深刻化する酸性雨
1 アテネは汚れていた
2 酸性雨とは
3 国境を越えて広がる酸性雨
4 中国の酸性雨
5 石油コンビナート周辺の酸性雨
6 日本列島の上にも酸性雨が
7 世界をおおう酸性雨の被害
Ⅴ 滅びゆく熱帯雨林と砂漠化
1 蝕まれる熱帯雨林
2 熱帯林破壊の原因
3 砂漠化・不毛化も進んでいる
4 緑の破壊がもたらすもの
Ⅵ 世界をめぐる放射能汚染
1 世界を震撼させたチェルノブイリ原発事故
2 世界中を汚染した放射能
3 ビキニ水爆実験と”死の灰”
4 蓄積される放射能
5 もし東京湾で核事故がおきたら
Ⅶ 核戦争後の地球
1 広島原爆後の「黒い雨」
2 全面核戦争によるオゾンの破壊と生成
3 全面核戦争と「核の冬」
Ⅷ 環境問題をどうとらえるか
1 そもそも環境破壊とは
2 利潤追求を第一とする資本主義的生産様式
3 多国籍企業の公害輸出
4 発展途上国の大土地所有制
5 軍事ブロックと民族自決権の侵害
6 社会主義国の環境問題
7 環境問題と「新しい思考」
Ⅸ 地球規模の環境破壊を防ぐ道
1 「発生源で止める」が基本
2 環境破壊を防ぐ諸方策
①国際的監視網の展開
②シミュレーションによる予測
③国際的規制の徹底
④環境保全に役だつ新技術の研究・開発
⑤「反科学」の克服
3 「新しい思考」で環境破壊は防げるか
4 世論の高揚こそ環境破壊を防ぐ道
あとがき
参考文献
図表一覧

奥付

地球環境が危ない  新日本新書401
1990年4月20日  初版
著  者  増田善信
発行所 株式会社 新日本出版社
ISBN4-406-01828-X C0240