気象学講座〈第11巻〉台風論

序論

 「屋根の上に人現われし野分かな―泊月」。台風、それは我々日本人にとって古くから避けることの出来ない天災の一つであった。とくに農民は、秋の台風が彼等の一年の労作を一夜にして潰滅させることもしばしばであったので、「二百十日」、あるいは「二百二十日」などと云って台風期をおそれていた。最近でも、とくに戦争による国土の荒廃も手伝って、台風による被害が増加の一途をたどり、国民生活に対する台風の影響は無視し得ないものがある。たとえば、1954年9月函館港外で千数百名の人命を奪った台風15号の例はまだ我々の記億に新らしいものである。
 台風は―ハリケーン、サイクロン等を含めて―大気中の擾乱の中でも特異な気象現象の一つで、強い雨や風をともない、その通過に際しても上述のような著るしい被害を与えるものが多い。したがって、台風に関する研究は古くからなされ、台風に附随した種々の現象の予報についても多くの法則―主として経験則―が得られている。しかし、いずれも確定的なものは少なく、台風時の地上天気図や地上観測の資料から得られた、記述的、統計的なものが多かった。これは主として従来台風域内の立体的な気象観測が困難で台風の構造に関する知識が不備であったためと思われる。したがって、折角の理論的な研究も何ら事実の裏付けが
得られず、そのため、その理論の当否は勿論、その理論のその後の発展に対する足がかりも望めなかったのである。
 最近、とくに第2次大戦中およびそれ以後、高層気象観測網の充実と共に、ラジオゾンデ、レーダー、および航空機などによる台風内の三次元的な気象観測が可能になり、台風の発生および構造などを三次元的に研究する気運が生まれてきた。それと共に理論的な研究も発展し、台風の発生、発達、移動などの問題に目覚ましい進歩がみられるようになった。とくに、数値予報の概念が台風の研究にも導入され、台風の移動、発達などの予報に飛躍的な進歩を与えつつあることは特筆すべきことである。ここでは、とくに最近著るしい発展をみせた、台風の発生、構造、移動の問題に焦点を合わせて最近の諸成果を概説する。その前に熱帯性低気圧の一般的な名称、分類について略記しよう。
 熱帯性低気圧の名称 ある程度の強さの熱帯性低気圧は、太平洋西部、東支那海、日本附近では台風、大西洋、カリブ海、メキシコ湾および西インド諸島、およびメキシコ西海岸沖ではハリケーン、インド洋、アラビヤ海、およびベンガル湾ではサイクロンなどと呼ばれる。また局地的にはフィリッピンでは台風のことをバギオ、オーストラリヤの西海岸ではウイリ・ウイリーという俗名で呼ぶこともある。
 熱帯性低気圧の強さによる分類 熱帯性低気圧は発生地によって上に述べたような色々の名称で呼ばれるほか、その強さによって、台風又はハリケーン、熱帯性暴風雨、熱帯性低気圧などの名称で呼ばれ混乱を起こすことが多い。したがってこれらを適当に統一する必要が生じてきた。アメリカでは現在次のような強さによる分類が採用されている。
 1。熱帯性擾乱(Tropical disturbance)……地上では弱く、上層では少し顕著な低気圧性循環が認められ、通常の2mb 毎に描いた天気図では閉じた等圧線は認められないか、たとえ認められてもせいぜい一本だけである。熱帯、亜熱帯を通じてしばしば現われる。
 2。熱帯性低気圧(Tropical depression)……一本あるいはそれ以上の閉じた等圧線が認められ、中心附近の最大風力はビューホート6あるいはそれ以下である。
 3。熱帯性暴風雨(Tropical storm)……等圧線は閉じた円形で、中心附近の最大風力はビューホ一ト6以上、12以下である。
 4。台風あるいはハリケーン(Typhoon or Hurricane)……最大風力がビューホート12以上の暴風雨。
 1949年6月、マニラの国際気象会議ではこれと少し異った定義を採択した。それは、熱性低気圧……最大風速34ノット以下のもの、熱帯性暴風雨……最大風速35ないし64ノットのもの、台風……最大風速65ノット以上のものである。
  本邦では更に簡単化して弱い熱帯低気圧……中心附近の最大風速34ノット以下のもの、
台風……最大風速34ノット以上のものの2階級に分類している。このような分類はもちろん便宜的なものであり、その分類そのものには物理的意味はほとんどない。したがって容易に変更されるものである。
 熱帯性低気圧の発達過程による分類 熱帯性低気圧も温帯低気圧と同様に発生、発達、衰滅の過程をたどる、これらの過程によって熱帯性低気圧の構造に関する一般的な特徴が地上でも上層でも、それぞれ少しづつ異なっている。したがってつぎのような発達過程による分類をすることもある。(第一図参照) (図は削除)
 1。発生期(Formative or Incipient stage)……これは最初の低気圧性循環が地上ではじまつたときから、それが発達して台風の強さになるまでを言う。
 2。発達期(Immature or Deepening stage)……台風が発達をつづけて、その生涯のうちで中心示度が最低に、風速が最大に達するまでの段階を言い、この段階では台風はもっとも対称で、その反面その範囲は比較的狭い。
 3。最盛期(Mature stage)……中心示度はもはや深まらないが、台風の範囲が徐々に拡がり、台風級の風が吹く領域がもっとも広くなる。しかし、風速は徐々に弱くなる。
 4。衰滅期(Decay stage)……台風が消滅するか、中緯度地帯に入って温帯低気圧に転化する段階である。
 もちろん、個々の台風によって、あるいは季節によって、これらの典型的な発達過程がすべて存在するとは限らないし、またある発達段階からつぎの段階に移る緯度も種々異なるであろう。日本付近には、最盛期ないし衰滅期の台風の襲来が多いと考えられる。

目次

序 論
§1. 発生論
1.統計的にみた台風の発生
2.台風の発生と垂直安定度
3.発生機構の概観と古典的発生論
4. 偏東風帯と偏西風帯の気圧場の重畳と台風の発生―RIEHLの発生論
5.力学的及び熱力学的不安定と台風の発生―正野の発生論
§2. 台風の構造
地上の構造
1.気圧分布
2.風の分布
3.台風内の各種気象要素の一般的性質
4.負渦度の立場からみた台風の構造
5.地上の構造からみた台風のモデル
立体構造
6.気圧場
7.温度場
8.圏界面の分布
9.上層風の構造
10.台風内の垂直気流と立体流線
11.雲の分布
12.立体構造よりみた台風のモデル
台風眼
13.眼内の熱的構造
14.台風眼の構造
15.眼の形成の理論
16.台風眼の中心と気圧中心の喰い違い
§3. 台風の移動
1.台風の径路
2.台風の転向
3.台風移動の理論―“Steering”の概念
4.台風の蛇行運動
5.台風の進路予報
6. 台風進路の数値予報
§4. 台風にともなう諸現象と災害
1. 日本における風水害
2.台風による風害
3.台風にともなう豪雨
4.台風にともなう風浪とうねり
5.台風による浪害
6.台風による海難と台風時の船舶運航

奥付

気象学講座 第11巻
台風論
予約特価 270円
昭和31年8月1日印刷
昭和31年8月5日発行
著者
気象研究所 増田 善信
東京大学気象研究室 理学博士 笠原 彰 共著
発行所 株式会社 地人書館