はじめに
広島と長崎の原爆投下からすでに半世紀以上が経過した今日、依然として、人類をいくたびも殺戮できる大量の核兵器がこの地球上に存在している。さらに、インド・パキスタンの核兵器開発競争のような新たな危険さえ生まれている。
1999年5月に開かれたハーグ平和市民会議の「公正な世界秩序に関する基本10原則」に集約されたように、核兵器のない地球をつくろうという圧倒的な世界世論が、核兵器廃絶条約の交渉開始を求めている。それにもかかわらず、核保有大国は、核兵器不拡散条約体制のもとで、未臨界核実験を繰り返し、核兵器の維持に加えて、新たな開発さえもくろんでいる。
原爆や核実験による”hibakusha”に対する各国政府の援護は手薄く、日本でも、長期にわたって原爆後障害に苦しんできた被爆者に、その障害が原爆によるものと認めない政策がつづいているのが現状である。
原爆の非人間性は、人間が人間として死ぬことを許さなかっただけでなく、かろうじて生き残った人々にまで、長期にわたって心と体をさいなみつづけさせるところにある。放射線障害もそのひとつである。とくに、低線量の放射線の影響は今日でも十分に解明されているとは言えない。個々の被爆者が苦しんでいる原爆後障害の放射線被曝との因果関係は、確率的ないしは疫学的にしか言えないところがある。しかし、これを逆手にとって「証明できないからそうでない」と断定することは科学的とは言えない。
1954年3月1日のアメリカの水爆実験によるビキニ被災事件をきっかけにした国民的な原水爆禁止運動の高揚の中で、原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が発足し、1957年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)が制定された。1963年12月7日に、東京地裁は、原爆投下は国際法違反であることを認め、被爆者に対する国の貧困な救済策を批判する判決を下した。原爆医療法に加えて、1968年原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(特別措置法)が制定された。1978年、原爆医療法や特別措置法の根底には、実質的に国家補償的配慮があることを最高裁判所も認めた。
しかし、特別措置法が制定され、「特別手当」が支給されるようになって、被爆者の疾病が原爆の影響であることを国が認める「認定被爆者」の申請に対する厚生省の審査がきびしくなり、認定申請を却下する事例が増大するようになった。1980年、厚生大臣の諮問機関である原爆被爆者対策基本問題懇談会は、戦争の犠牲は「国民がひとしく受忍しなければならない」とする答申を行った。こうした中で、認定審査却下をめぐる原爆訴訟が相次いで起こった。
長崎で被爆した松谷英子さんが認定申請の却下処分取り消しを求めた原爆松谷訴訟では、長崎地裁でも福岡高裁でも、松谷さんの右半身不随を原爆の障害作用であることを認め、国に却下処分の取り消しを命ずる判決を下した。しかし、厚生省が上告したため現在最高裁で係争中になっている。また、広島で被爆したAさんが、認定申請却下の取り消しを訴えていた京都原爆裁判でも、京都地裁は1998年12月、国に却下処分取り消しを求める判決を出したが、厚生省は大阪高裁に控訴した。
両裁判とも爆心地かち2.45kmと1.8kmという比較的遠距離の被爆に関するもので、厚生省は放射線障害であることを認めようとはしない。厚生省は、広島・長崎原爆の放射線量を推定するDS86にもとづけば、松谷さんもAさんも、それぞれの障害が起こる被爆線量に達していないので、放射線による影響は否定できると主張している。そして、この言い分を認めないのは科学を無視するものだと決めつけ、原告である被爆者に、放射線の影響であることの因果関係の証明責任を要求しているのである。こうした原爆裁判では、一見科学的に見える厚生省の言い分を、事実にもとついて科学的に論破することが重要になってくる。
被爆者の被爆状況は千差万別である。放射線被害の被り方はさらに複雑である。直接の初期放射線のみならず、核分裂生成物(いわゆる「死の灰」)はちりや微粒子によって運ばれ、”黒い雨”や”黒いすす”などの放射性降下物となって降り注いだ。建造物の崩壊や火災にともなうちりやほこり、煙に含まれる誘導放射能が被爆者をとりまき、体の中にとりこまれた。こうした残留放射線による影響は、初期放射線による影響を強く受けなかった遠距離の被爆者や入市被爆者に深刻な影響を与えた。遠距離被爆者や入市被爆者に対するこうした要因を厚生省は全く無視し、DS86の初期放射線に関する部分だけを用いている。また、肉身を一挙に失う家族崩壊によって食生活を含む劣悪な生活環境が被爆者の放射線後影響を増大させた点も軽視できない。
日本の原爆被害の調査・研究は、医学、自然科学、さらに人文・社会科学にわたって、占領期の一時期を除いて質・量ともに着実に築かれてきた。厚生省はこうした調査・研究の成果によるのではなく、アメリカの核兵器の効果の研究に起源をもつDS86に全面的に依拠している。その放射線量評価の遠距離部分が広島・長崎の実際よりも著しく過小評価になっていることを、日本の研究者が地道な測定研究で明らかにしてきた。なぜ厚生省はこうした研究には目をつぶって、DS86にこだわるのだろうか。戦争犠牲者に背を向ける一方で、日米安保体制のもとでアメリカの「核の傘」に身を寄せ、核兵器の使用が国際法違反とは言い切れないと主張するなど、万事にアメリカ追従を貫こうとしている姿勢が根底にあるとしか言いようがない。
こうした状況の中で、まず何よりも「DS86の科学性」とはいかなるものであるかを明らかにする必要があった。さらに、遠距離被爆に大きな影響をおよぼす”黒い雨”の降雨地域の再検討を含む放射性降下物の研究も必要であった。そして、低線量放射線の人体への影響がどこまで解明されているのか、閾値理論(第3章参照)を含めて検討されねばならなかった。これらの解明が充分明らかでない段階で、われわれは判断の根拠を何に求めればよいのか。それは、遠距離または低線量被爆者の症状の実態を疫学的に把握することである。そうした事実に依拠して、被爆者行政のあり方が根本的に問われねばならない。
このような問題意識から、日本科学者会議の研究基金の助成にもとづき「広島・長崎原爆による放射線影響研究会」が発足した。本書はその研究会での検討結果にもとづき、さらに最近の原爆被害研究の成果を取り入れながら、主として原爆被害を自然科学的視点からまとめたものである。上に述べたような問題が解決できたわけではないが、検討すべき問題がいかに残されているか、少なくとも問題点だけでも提起することを試みた。したがって、今後なお原爆被害の研究は継続されなければならないことは明らかである。
こうした段階で、あえて出版に踏み切った理由は、原爆投下からすでに半世紀以上を経過して被爆者自身の高齢化が進み、また、データの収集や分析もいっそう困難になり、今後の原爆被害研究において、新たなアプローチの展開や問題解決には時間がかかると思われるからである。さらに、今日の原爆被害研究の到達点をまとめておくことは、21世紀には核兵器のない人類社会をつくりだそうとする核兵器廃絶の運動と、その重要な一環である被爆者援護と原爆裁判勝利にいささかでも寄与できるのではないかとの思いも重なっている。なお、研究会のメンバーではなかったが、血液学が専門で、広島の被爆者医療でも中心的に活躍されている齋藤紀さんに、原爆被害として欠くことのできない被爆者の障害について執筆していただいた。また、日本被団協原爆被爆者中央相談所相談員として援護活動にとりくんでこられた伊藤直子さんに、原爆裁判でも問題になっている被爆者行政と原爆症認定制度の問題について執筆していただいた。また、本書の執筆者には3人の被爆者が含まれていることも付記しておく。
アメリカは、被爆者援護の問題より、戦略兵器としての原爆あるいは核兵器の効果に関心があり、もともと広島と長崎への原爆投下にはこうした実験的要素も含まれていた。DS86のアメリカ側の利用目的にはこうした核戦略的意図が背景にある。そもそもアメリカがどのような位置づけのもとで原爆の開発を急ぎ、日本に投下したかを紹介するために、第1章を設けた。
第2章では、その後の章の理解のために、原爆の物理的影響の基本原理に重点を置いて説明する。
第3章で、DS86の問題点について検討し、実測値にもとついて実際の広島・長崎原爆の初期放射線量の推定を行う。
第4章で、「黒い雨」の降雨域の新しい研究を紹介しつつ、「専門家会議」の問題点を検討し、放射性降下物が広範囲にわたった可能性について述べる。
第5章において、原爆被爆者の障害を被爆直後から今日まで現代医学の視点をふまえて解明する。
第6章で、放射線の人体への影響についての最近の到達点と問題点を紹介する。
第7章で、被爆直後から今日まで行われたさまざまな被爆者調査結果にふれて、放射線障害、とくに遠距離および入市被爆者の障害に焦点を当てる。
第8章では、被爆者行政の問題点、とくに被爆者認定審査の実情を原爆裁判ともあわせて検討する。
各章の執筆の分担は次のように行い(*印が各章の分担執筆責任者)、沢田が全体の調整連絡に当たった。
第1章 永田 忍*、沢田昭二、安斎育郎
第2章 安野 愈*、沢田昭二、永田 忍
第3章 沢田昭二*、永田 忍、安野 愈、安斎育郎
第4章 増田善信*、角田道生
第5章 齋藤 紀*
第6章 野口邦和*、安斎育郎
第7章 田中煕巳*、高橋 健
第8章 伊藤直子*、田中煕巳、沢田昭二
最後になったが、「広島・長崎原爆による放射線影響研究会」の活動を可能にしていただいた日本科学者会議の研究基金委員会と、この研究会に関心を持ち、研究会に出席してさまざまなご意見を述べて下さった方々にお礼を申し上げる。また、執筆完了が遅れがちであったにもかかわらず、切り詰めた日程で本書の出版に御尽力いただいた長嶺啓治さんをはじめ新日本出版社の方々に深く感謝する。
1999年7月 執筆者一同
目次
奥付
共同研究 広島・長崎原爆被害の実相
1999年7月30日 初版
著 者 沢田昭二ほか
発行所 株式会社 新日本出版社
ISBN4-406-02672-X C3030