増田善信さんは1985年8月の原水爆禁止世界大会で、広島県「黒い雨」被害者の会連絡協議会顧問の村上経行さんの指摘で、黒い雨降雨地域の再調査を約束されました。それから多数の体験記を読んで、黒い雨の記述を探してノートに書き出し、宇田降雨図の原資料を探し当てて、地図に落とし込む……そうした作業を経て、87年5月に暫定的な降雨図を発表されました。そして、87年6月から8月にかけては、自費で、広島県の山県郡、佐伯郡の旧町村で聞き取り調査とアンケートの現地調査を行って、1989年2月に、完成版の降雨図を発表されました。
私が、増田先生と初めてお会いしたのは、この現地調査の時です。今回の本の中にも、178ページから、その時の様子が詳しく書かれていますが、私の町の小学校の体育館が会場になったのですが、参加者30名の予想を大きく超えて、200名の被害者の方が集いました。会場設営で汗だくになったことをよく覚えています。増田降雨図は、宇田雨域の約4倍の面積で、島根県境まで及ぶもので、新聞やテレビなどで大きく報道されました。
私たちの運動は、1976年に、国が宇田雨域の大雨雨域だけを健康診断受診者交付地域に指定したことに対して、「自分がいたところも降ったのに、なぜ降雨域になっていないのか」「なぜ大雨地域だけしか指定しないのか」などの声が広がる中で、78年11月に被害者の会連絡協議会が結成され、翌年には2万筆の署名を持って厚労省交渉を行うなど、以後、運動を継続的に続けてきました。
村上経行さんが原水禁大会で、「宇田雨域に迷惑している」と発言したのが物語っていますように、私たちの運動は、1980年に厚労省が設置した原爆被害者基本問題懇談会(基本懇)が、「被爆地域の拡大は科学的・合理的な根拠がある場合に限る」との方針で跳ね返され続けてきました。
そんな時に、増田さんの降雨図は、黒い雨被害者の体験を、気象の専門家が科学的に裏付ける画期的な役割を果たし、私たちの運動に大きな勇気を与えました。他方で、87年8月に広島に来た中曽根首相が、増田降雨図に対して「科学的・合理的な根拠があれば、指定地域を拡大するのもやぶさかではない」と述べて、翌年5月に、広島県と市が専門家会議を設置するなどの大きな影響を与えました。その後も、増田先生は、2010年12月に厚労省が設置した検討会に、私たちの代表とともに毎回傍聴に来ていただき、当局との交渉にも参加していただきました。2015年11月に、黒い雨被害者が提訴した集団訴訟では、こうし降雨図の資料を証拠で提供して、弁護団の学習会のために広島に足を運んでいただきました。
20年7月の広島地裁判決文では、増田雨域は豊富な資料に基づいており、降雨域を推測する際の有力な資料として位置づけられるべき、と評価をされました。これが、原告勝訴の大きな力になりました。高裁判決で勝訴判決が出た時には「上告するな」というネット署名をつくって訴えるなど、私たちの闘いの勝利のために、最後まで力を寄せていただきました。改めて、増田先生の生前のご功績に感謝とお礼を申し上げます。 今回出版された本は、増田先生の黒い雨以外の戦争の体験、気象学者としての研究、職場の労働組合運動、反核・平和運動、反原発の運動、地球環境を守る著作や運動なども詳しく書かれています。どれも、増田先生の、まさに「世のため、人のため」に生きたたぐいまれなる人生が描かれている書物であり、私たちに「あの人の生きたように……」との指針を与えてくれるものです。この本を私もできるだけ多く普及します。最後に、小山さん、権上さん、ご家族など、本の執筆、編集に当たられた方々のご努力に敬意を表してご挨拶といたします。ありがとうございました。
