私は1945年6月22日、満州の北部で生まれました。その約1カ月後に生まれたものがありまして、これが原爆なんです。だから、私の人生における80年の歴史と、原爆は重なる。原爆と私はほとんど同い年なのだから、若い時から原爆に対する意識がありました。このまま原爆が存在し続けると、私たちの地球が、人類が滅びてしまいます。
やはり、核の民生利用というのは嘘であって、原子炉を使った発電などは原爆と同じものです。だから、こんなことはあってはならない。核を持つと、私たちの民主主義が壊れてしまう、というふうに思っています。
そして、増田さんのことについてお話したいんですが、私は私自身のプリンシプルとして、「先生」という言葉は、自分が直接教えを受けた方にしか使わないんです。もうやたらに先生、先生というのはやめようと。まあ、もう1つ、私はどんなに若い人に対しても「さん」という敬称をつける、という習慣を持っています。
私は増田さんとは直接お会いしたことがないんですけれども、権上さんを通して何回もメールのやりとりをしました。増田さんから色んな質問をいただいて、私が答える、ということをやったんですね。そうしたやりとりから、増田さんという方を知ってですね、これはすごい方だなと思ったんです。何がすごいかというと、科学者はどう生きるか、ということを、身をもって、101年の人生の中でお示しになった。私は彼より21歳若い物理学者ですが、私もこういう生き方をしなきゃいけないというモデルに思えるんですね。
同じ科学者という立場から申し上げると、増田さんは本当に素晴らしい科学者なんですよ。もちろん、事実をちゃんと確認して、事実と意見を分離しながら考えを表明するというのは当たり前なんですが、それ以外にもすごいところがあるんですよね。
それは、シミュレーションに対する考え方なんです。伝記の中で、増田さんはこう述べています。シミュレーションというのは、まさに科学者の良心、社会的に責任が試されるものである、と。これは非常に重要なことなんです。私は甲状腺がん裁判のことで闘っているんですが、シミュレーションをでたらめに、安易に、あるいはインチキに使うというケースが多々あるわけです。
増田さんはこういうことを目の当たりにされて、こんなことはいけない、と。だから科学者として、シミュレーションを使う時に科学者自身が試されるという、非常に素晴らしいことを言っている。 それから、もう一点。増田さんというのは、非常に細部にまでこだわるんですよ。細部にこだわるというのは、科学者として非常に重要な要素だと思っていて、そういう意味で、やはり私は「増田先生」と呼ばざるを得ない、そんな風に思っています。