増田善信をしのぶ会ー「空白の天気図」著者 柳田邦男挨拶

二階堂:ノンフィクション作家でいらっしゃる柳田邦男さんから、一言お願いしたいと思います。皆さん、ご存知だとは思いますけれども、「空白の天気図」の著者であります。

【柳田邦男氏】

私は長年、お付き合いしたわけではなくて、本当に増田さんの人生の最後の最後を、時期的には、一昨年の秋から、昨年1月にかけて、私自身がいろいろ書いている作品の関係でした。広島の原爆被害というのは、私自身が取材をし、ものを書くという。仕事の最初は、1960年から3年間、広島での記者でした。まさに原点です。未だに広島との関係っていうのは続いています。

昨年から、また改めて新しいものを書くための取材もしているのですが、広島の西の郊外、宮島の対岸の佐伯郡大野町(現:廿日市市)というのは、原爆被爆の直後の9月17日、枕崎台風で大水害が起きたところなんですね。特に元陸軍病院赤十字病院だったとか、そこの収容されていた被爆者が百数十人流されて、一気に、命を奪われたという、ずっと取材の対象として、昨年もたしたりしたんですが、そういう最中に宇田さんの取り組んだ調査研究っていうのは、原爆の直接被害だけではなくて、その被爆直後の枕崎台風の災害という場で、視野に入れて、そして、広島の山間部まで足を運んで、当時は本当に取材の車なんか使えない時代、自転車でですよ。山間を回って調べた。その、お取り組みっていうのは、すごいなあと思ったんですね。昭和20年から22年ぐらいでしょうか。

そんなこの者さんのことを知ったのも、実は最近改めて取材をし直して、新しい作品を書くためのデータを集めている。その最中に知ったので、70年代に書いた頃は、まだそこまで取材をしてきていなかったんです。

ですが、空白の天気図が最近、再々発行されたときに、若干改変しました。あの、その爆風の被害が原爆と切り離せない災害の形をもたらした、つまり、核戦争時代の自然災害が重なったとき、いかにこの複合災害っていうのは大変なことになるか。

それは改めて、あの、知らしめたことを、そのことを新しい視点で見直して、これからの核戦争時代、単に、核爆発によって被害が大きくなるだけじゃなくて、それと、自然災害がつながったときに、どんなことになるか、

そこまで視野に入れて、核の恐怖ということを考えなきゃいかんということを問題提起しているんですね。実際、今、あのウクライナでもですね、あのドニエプル川の氾濫決壊、ロシアからのミサイルがダムを崩壊させたんですね。

それで、大水害が起きました。それで、あのドニエプル川の流域に、東京23区ぐらいの面積が大災害になったんですよね。そういうふうに、核の時代における自然災害との重なり合いっていうのは、これからの時代は、もう十分考えなきゃいけない。

例えば、東北地方における津波災害の形というのは、ああいうことはですね。実際、核戦争中に起こったどんな状況になるのかとか、いろんな問題をこれから考える。必要が生じている。単に、広島の被爆国という直接被爆だけではない問題です。増田さんのお宅をお訪ねして、まだ本当にお元気でした。ええ、3時間に及ぶような、私のインタビューに、しっかりとしっかりとした言葉で、ええ、いろいろと経験を語りました。その時にお話しになった島根地方の基地に勤務していた若き頃。関係者のお名前がフルネームで全部出てくるんです。もうね、百歳という年齢で、人の名前、どんなに親しかろうと、友人だろうと、もうすべてね、フルネームで出てくるんですよ。この脳みその構造はどうなってんだろう。なんともう本当に感銘を受けましたですね。それが昨年1月のことでした。こんなに早く旅立ってしまうとは、思ってもいませんでした。