増田さんと私が出会ったのは、1988年——増田さんは気象庁を退職して間もない時だったと思うんですけども、狛江市長選挙に立候補した時のことです。当時、市民の声を聞かない自民党・石井市政をみんなで倒して、市民の声が通る市政を作ろうということで、その先頭に立っていただきました。
当時、私の地元で、39名の住民を石井市政が強制的に転居させるという事件がありまして、増田さんは、その市長選挙の中でこの問題を告発いたしまして、住民を励ましていただきました。もう一つは1996年、日本共産党の矢野裕さんが狛江市長になりました。当時、日本共産党は23の定数のうち4人。その他に矢野さんを応援するのはもう1人ということで、議会に与党は5人しかいませんでした。そういう中で、自民党や公明党は、この矢野市政を倒そうということで、矢野さんが最初に編成した予算に反対して、否決してしまったんですね。で、多くの市民が心配しました。
どうなるのかな、という時に増田さんは、矢野さんを支える市民団体「豊かな狛江をつくる市民の会」の共同代表となりまして、予算を通せ、という署名、運動の先頭に立ちました。そして、この近くにありますエコールマンホール、700席あるんですけども、そこを満席にする「予算を通せ」の集会を成功させたのです。その結果、予算を否決した側の、自民党や公明党の議員に対して、多くの市民から抗議の手紙が、届くようになりました。
そして翌月の4月23日だったと思いますが、予算を通すことができました。増田さんを先頭にする市民運動で、予算を通して、矢野市政を支えた最初の出来事で、今でも鮮明に覚えております。
増田さんは、気象学者として、地球温暖化防止の運動にも取り組んで、先ほどの放射能測定運動にも加わったお話がありましたが、私が参加している狛江市のエネルギーワーキングというところにも参加していただきまして、専門的な知見を、毎回の定例会で発表していただきました。私も含めて、参加者に対して、原発ゼロ、再生可能エネルギーの促進、こういう方向で導いて励ましていただきました。 そして、最後に訴えたいのは、増田さんは日本共産党の躍進にも、本当に力を尽くしてくれたということでございます。90歳を超えた時にも、駅前で日本共産党候補者の応援演説を行ったり、近所の方々、あるいは、いろんな運動で知り合った人に『しんぶん赤旗』を薦めて回りました。晩年になっても、異常気象と温暖化問題について本を書くなど、研究者としてもずっと頑張ってこられました。同時に核兵器廃絶、世界平和、そして社会進歩を目指す革命家としても、命尽きるその時まで、頑張りに奮闘してゴールを駆け抜けた方ではないかと思っております。私は増田さんと比べると、まだ25歳も若いんですから、なんとか少しでも増田さんの生き方に近づいていけるように、これからも頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
